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みなさんは「折形礼法」というものをご存知でしょうか。
「折形礼法」とは鎌倉時代に確立された、贈り物を包む時の「包み方」の決まり事のこと。最近ではリボンや包装紙などが主流ですが、当時の日本の武家社会では贈り物には白い和紙に水引や紙縒りが基本でした。今日でもご祝儀袋などで目にすることのある、あの組み合わせです。


日本人は明治以降義務教育の一環として「折形礼法」を学んでいたのだそう。けれども第二次世界大戦後は欧米化の影響で伝統的な「礼法」を教える場がなくなり、百貨店が贈り物に熨斗紙をつけ相手に送るサービスや、文具店などで売っている「祝儀袋」などといった形で、かろうじて文化が残っている程度になってしまいました。私たちが暮らしてゆく上で、大切なコミュニケーションの手段にもなっている「贈り物」。その日本ならではの形が失われつつあると思うと、少し寂しく感じます。


たいへん奥が深い「折形礼法」の世界。今回はその入り口として、現在でもみなさんの生活で利用されている「水引」を取り上げ、「折形礼法」の世界を少しだけご紹介できたらと思います。


紙の質から水引の本数にまで、
数々の意味を込めて。


「折形礼法」では贈り物を包む和紙や水引の、色、形、質などさまざまな要素を組み合わせ、相手との関係性、包んだ中身について、贈る側がどんな気持ちを内に秘めているかまで、多くのことを語っています。相手が「贈り物の中身が何か」について思い煩うことのないよう、ひと目で中身の想定がつくよう心掛ける、というのが基本の哲学。この風習、現在でもしっかり残っていますね。ご祝儀袋でも中身の金額に合わせて飾りを選んだりするのはそのため。


例えば水引の数で中身の品の格(金額)や相手との関係を表します。水引の数が多いほど格は上になり、紐より紅白の水引、紅白よりは金銀の水引の方が「格」は上になるのです。


結び方ひとつで、伝えたい想いを表現する。



正式な贈り物には水引を結ぶのが「折形礼法」の基本とされています。水引の結び方の基本は「結び切り」「両輪(もろなわ)結び」「片輪(かたなわ)結び」。なんだかいろいろな種類があって難しいですが、贈り主の伝えたいメッセージを結び方で表しており、全て理に適った形をしています。


「結び切り」は一度結ぶとほどくことができないため、「二度と同じことを繰り返さない」という意味を表し、婚礼や弔事の場で用いられます。またお祝いの席では喜びを表し水引の先端を上に向け、弔事では「悲しみに頭を垂れる」という意味で先端を下に向けるのです。
「両輪(もろなわ)結び」「片輪(かたなわ)結び」は基本の意味はどちらも簡単にほどいて結び直すことができることから「おめでたく、何度あってもよい」という意味。2つの結び方の使い分けは包む品の形によって使い分けられます。


上の写真の物は左が「両輪(もろなわ)結び」で、右が明治以降に作られた「結び切り」の変形で、鮑の形を模した「あわび結び」です。両端を引っ張ると結びが硬くなることから、解ける事のない末永い親交を表しているのだとか。


現在は水引の形もさまざまに。


礼法の本来の意味とは掛け離れてしまいますが、現在では水引の形も種類が増え、さまざまに楽しまれているようです。「折り紙」も元々は「折形」が大衆に広まり、「遊戯」として親しまれるようになって生まれたのだとか。


本来の形を受け継ぐことももちろん大切ですが、こうして文化の源流へと辿れる糸口として、その時代にあった形に変わって受け継がれてゆくのもまた、大切なことなのかもしれません。


最近は電話にメールにSNSと、さまざまなコミュニケーション手段が発達しています。けれどそれら全て、言葉を使用してのコミュニケーションです。当時は宅配便などという便利なものはなく、包んだものは直接渡しに行くのが基本でした。顔と顔を合わせているので、中身が何かは言葉で伝えることもできたはず。けれど当時の人はそうはしなかった。

渡す相手を想って物を選び、そして時間を掛けてそれを包む。そして受け取る側も贈る側と同じ感性や教養を持って、その真意を言葉以外の表現するところでしっかりと理解する。そもそも贈り物自体が、贈り手には相手が何を喜ぶのかを考える想像力を必要とするし、受け取る側にもいかに自分のことを想って時間を費やしてくれたかと考える、想像力を必要とするコミュニケーションです。そんな合理的とはほど遠い奥ゆかしいコミュニケーションの方法から、日本人ならではの粋と、現代を生きる我々も思い出したいゆったりとした時間の使い方を、感じられるように思いました。


紙の質から水引の本数にまで、 数々の意味を込めて。

「折形礼法」では贈り物を包む和紙や水引の、色、形、質などさまざまな要素を組み合わせ、相手との関係性、包んだ中身について、贈る側がどんな気持ちを内に秘めているかまで、多くのことを語っています。相手が「贈り物の中身が何か」について思い煩うことのないよう、ひと目で中身の想定がつくよう心掛ける、というのが基本の哲学。この風習、現在でもしっかり残っていますね。ご祝儀袋でも中身の金額に合わせて飾りを選んだりするのはそのため。



例えば水引の数で中身の品の格(金額)や相手との関係を表します。水引の数が多いほど格は上になり、紐より紅白の水引、紅白よりは金銀の水引の方が「格」は上になるのです。

結び方ひとつで、伝えたい想いを表現する。


正式な贈り物には水引を結ぶのが「折形礼法」の基本とされています。水引の結び方の基本は「結び切り」「両輪(もろなわ)結び」「片輪(かたなわ)結び」。なんだかいろいろな種類があって難しいですが、贈り主の伝えたいメッセージを結び方で表しており、全て理に適った形をしています。



「結び切り」は一度結ぶとほどくことができないため、「二度と同じことを繰り返さない」という意味を表し、婚礼や弔事の場で用いられます。またお祝いの席では喜びを表し水引の先端を上に向け、弔事では「悲しみに頭を垂れる」という意味で先端を下に向けるのです。

「両輪(もろなわ)結び」「片輪(かたなわ)結び」は基本の意味はどちらも簡単にほどいて結び直すことができることから「おめでたく、何度あってもよい」という意味。2つの結び方の使い分けは包む品の形によって使い分けられます。

現在は水引の形もさまざまに。


礼法の本来の意味とは掛け離れてしまいますが、現在では水引の形も種類が増え、さまざまに楽しまれているようです。「折り紙」も元々は「折形」が大衆に広まり、「遊戯」として親しまれるようになって生まれたのだとか。



本来の形を受け継ぐことももちろん大切ですが、こうして文化の源流へと辿れる糸口として、その時代にあった形に変わって受け継がれてゆくのもまた、大切なことなのかもしれません。


当時は宅配便などという便利なものはなく、包んだものは直接渡しに行くのが基本でした。顔と顔を合わせているので、中身が何かは言葉で伝えることもできたはず。けれど当時の人はそうはしなかった。

渡す相手を想って物を選び、そして時間を掛けてそれを包む。そして受け取る側も贈る側と同じ感性や教養を持って、その真意を言葉以外の表現するところでしっかりと理解する。そもそも贈り物自体が、贈り手には相手が何を喜ぶのかを考える想像力を必要とするし、受け取る側にもいかに自分のことを想って時間を費やしてくれたかと考える、想像力を必要とするコミュニケーションです。

そんな合理的とはほど遠い奥ゆかしいコミュニケーションの方法から、日本人ならではの粋と、現代を生きる我々も思い出したいゆったりとした時間の使い方を、感じられるように思いました。