CRAFTSMANSHIP CONTENTS:01 土屋國男

CONTENTS: 01

CRAFTSMANSHIP

Established in 1965

「ものづくり」に、生きる。
土屋鞄を生んだ哲学と美学。

「ものづくり」。土屋鞄製造所に流れるこの精神はどのように育まれ、研ぎ澄まされてきたのでしょうか。創業者で熟練職人である土屋國男の来歴をたどりながら、その哲学と美学、未来への思いを見つめていきます。

愚直に「本物」を追求する日々

土屋國男が上京し、学生鞄とランドセルの製造会社に入ったのは15歳の時でした。親方は「本物をつくる」が口癖で革へのこだわりが強く、何よりも丈夫さを重視する職人。そんな親方から革の扱い方をひたすら叩き込まれることで、「本物」とは何かを理解していきました。「ただ作業を覚えるのではなく、その奥にある意味を考えながら『修得する』ことを学んだ」という日々の中で、技術だけでなく、人としてのありようも教わったという修行時代。その時間が、今も土屋國男の大きな財産になっています。

そうして地道に経験を重ねて12年。「職人として、自分の腕を試してみたくなった」と独立を果たしたのが、27歳の時でした。出発は、自宅内の11坪の作業場。経験の少ない分を数つくることでカバーしようと死ぬ気で働き、「夢中になって腕を上げようとした」と振り返ります。熟知した革という素材を使い、親方仕込みの丈夫なつくりを旨としてランドセルをつくり続ける土屋國男に、最初の転機が訪れます。

愚直に「本物」を追求する日々

土屋國男が上京し、学生鞄とランドセルの製造会社に入ったのは15歳の時でした。親方は「本物をつくる」が口癖で革へのこだわりが強く、何よりも丈夫さを重視する職人。そんな親方から革の扱い方をひたすら叩き込まれることで、「本物」とは何かを理解していきました。「ただ作業を覚えるのではなく、その奥にある意味を考えながら『修得する』ことを学んだ」という日々の中で、技術だけでなく、人としてのありようも教わったという修行時代。その時間が、今も土屋國男の大きな財産になっています。

そうして地道に経験を重ねて12年。「職人として、自分の腕を試してみたくなった」と独立を果たしたのが、27歳の時でした。出発は、自宅内の11坪の作業場。経験の少ない分を数つくることでカバーしようと死ぬ気で働き、「夢中になって腕を上げようとした」と振り返ります。熟知した革という素材を使い、親方仕込みの丈夫なつくりを旨としてランドセルをつくり続ける土屋國男に、最初の転機が訪れます。

「丈夫さ」と「品格」を究めた
2つの転機

独立の4年後、土屋國男は親方の勧めで技術創作コンクールに出品します。結果は落選。しかし、発表の場で目にした優秀作の数々から大きな感銘を受けることになります。「縫製一つ、仕上げの細部に至るまで全ての部分に神経が行き渡っていて、全体が醸し出す高級感が違っていた」。その反省が、親方の教えである「本物をつくる」の原点に加え、自分ならではの美学「品格のあるもの」を追求させることになりました。そうして意識を高めた土屋國男は、その後の出展で次々と入選を果たしていきます。

「丈夫さ」と「品格」を究めた
2つの転機

独立の4年後、土屋國男は親方の勧めで技術創作コンクールに出品します。結果は落選。しかし、発表の場で目にした優秀作の数々から大きな感銘を受けることになります。「縫製一つ、仕上げの細部に至るまで全ての部分に神経が行き渡っていて、全体が醸し出す高級感が違っていた」。その反省が、親方の教えである「本物をつくる」の原点に加え、自分ならではの美学「品格のあるもの」を追求させることになりました。そうして意識を高めた土屋國男は、その後の出展で次々と入選を果たしていきます。

次の転機は、卒業後につくる「ミニランドセル」。そのサービスから、多くの気付きがありました。6年間使ったランドセルには、子どもたちの時間が刻まれています。そこで傷など、使った証となる印象的な部分をあえて残したところ、大変喜ばれたのだそうです。この経験が、土屋國男に「お客さまの心まで満足させる物をつくる」という思いを、大事にさせることになりました。

「ミニランドセル」の経験は、品質の向上にも大きく寄与します。全国から集まってくる「卒業したランドセル」を見ると、素材やつくりの違いが6年後にどう出るのかがよく分かるのです。きれいなランドセルは、素材とつくりがしっかりとしているだけでなく、デザインがシンプルで、美しさと凛とした品がありました。だからこそ大事に扱われ、長く愛用できる。土屋國男はこの生きた教材から、「丈夫さ」と「品格」を追求する大切さを改めて学びました。

次の転機は、卒業後につくる「ミニランドセル」。そのサービスから、多くの気付きがありました。6年間使ったランドセルには、子どもたちの時間が刻まれています。そこで傷など、使った証となる印象的な部分をあえて残したところ、大変喜ばれたのだそうです。この経験が、土屋國男に「お客さまの心まで満足させる物をつくる」という思いを、大事にさせることになりました。

「ミニランドセル」の経験は、品質の向上にも大きく寄与します。全国から集まってくる「卒業したランドセル」を見ると、素材やつくりの違いが6年後にどう出るのかがよく分かるのです。きれいなランドセルは、素材とつくりがしっかりとしているだけでなく、デザインがシンプルで、美しさと凛とした品がありました。だからこそ大事に扱われ、長く愛用できる。土屋國男はこの生きた教材から、「丈夫さ」と「美しさ」を追求する大切さを改めて学びました。

「心まで満足させる鞄」を生む
妥協なきこだわり

コンクールへの挑戦やミニランドセルづくりで多くのことを学び、ものづくりへの意識を一段と高めた土屋國男は、「心まで満足させる鞄」をさらに追求していきます。使い手のニーズや期待に応えるのは当たり前のこと。それだけでは、十分ではありません。持つことで誇らしく思えたり、背筋が伸びたり、気分が上がったり……そのように、使い手を「特別な気持ち」にさせることが大切です。

子どもたちが6年間安心して使える丈夫さと、毎日の通学が苦にならない背負い心地や使い勝手。それらの大前提の上に、他にはない「品格」と「美しさ」が加わるからこそ、背負うお子さまもご家族も「心まで満たされる」思いになります。そうした「品格」と「美しさ」を生み出すために、素材・つくり・デザインを追求し、細部の仕上げに至るまで一切の妥協を許さないのが土屋國男でした。

「心まで満足させる鞄」を生む
妥協なきこだわり

コンクールへの挑戦やミニランドセルづくりで多くのことを学び、ものづくりへの意識を一段と高めた土屋國男は、「心まで満足させる鞄」をさらに追求していきます。使い手のニーズや期待に応えるのは当たり前のこと。それだけでは、十分ではありません。持つことで誇らしく思えたり、背筋が伸びたり、気分が上がったり……そのように、使い手を「特別な気持ち」にさせることが大切です。

子どもたちが6年間安心して使える丈夫さと、毎日の通学が苦にならない背負い心地や使い勝手。それらの大前提の上に、他にはない「品格」と「美しさ」が加わるからこそ、背負うお子さまもご家族も「心まで満たされる」思いになります。そうした「品格」と「美しさ」を生み出すために、素材・つくり・デザインを追求し、細部の仕上げに至るまで一切の妥協を許さないのが土屋國男でした。

「更新されていくものづくり」
という、挑戦のDNA

「心まで満足させる鞄」を生み出すためには、同時に、時代に合わせた新しさも大切。土屋國男は、常に前よりも良いものを送り出すという挑戦を忘れません。この「更新されていくものづくり」という哲学が最も表れているのが、他に先駆けて送り出した数々の「新しいランドセル」です。かつてのランドセルは赤か黒だけで、ステッチは同色、背中は白というのが“常識”でした。そんな時代に土屋鞄は、ステッチや背中の色違い、茶色やローズ色のランドセルをつくってきたのです。

また、大人向けの鞄をつくるようになったのも挑戦の1つでした。ランドセルが評判になるにつれ「大人の鞄や財布はないのですか」と聞かれるようになり、ヌメ革のトートバッグや「Lファスナー」をつくって展示したところ、好評に。そこから本格的に大人向けの鞄や小物を手掛けることになったのです。そんなDNAを受け継ぐ土屋鞄が、創業50周年を記念して世に送り出した“挑戦作”が「OTONA RANDSEL」。長年培ってきた技術と知見、そして何より、お客さまへの感謝とものづくりへのこだわりを凝縮した、土屋鞄の野心的なシグニチャーモデルです。

技と思いを継ぐ者たちへ

「僕は親方や先輩をはじめ、会社の皆と取引先、そしてお客さまと、人に恵まれてここまでやって来られた。だから、人を育てることで恩返しをしていきたい」。そんな思いから、土屋國男は20年ほど前に若手育成の取り組みを始めました。そこには、「日本の優れた職人技が、永遠に失われてしまうことがあってはいけない」という危機感と、「未来への、ものづくりの継承」という希望があります。後継者の育成を、自社のみならず、鞄業界、さらには日本のものづくり全体の課題と考えているのです。

土屋國男は2022年、卓越した技能を持つ 「革ランドセル製造工」の第一人者として、厚生労働大臣から「現代の名工」に選ばれました。齢80を超えた今もなお、後進の育成に余念がありません。工場の中を見回り、気さくにアドバイスを与えながら、職人たちの姿に目を細めます。自宅内の11坪の作業場でたった一人から始めた土屋鞄製造所は、今や600人以上の職人・スタッフを抱えるまでに成長しました。時代の先を見据えながら「心まで満足させる鞄」を追求し続ける土屋國男。土屋鞄製造所はこれからもずっと、そのDNAを受け継いでいきます。


併せて読みたいコンテンツ

土屋國男(つちやくにお)

1938年、岐阜県生まれ。15歳で上京し、学生鞄やランドセルを手掛けるメーカーに就職。1965年に27歳で独立し、後に鞄コンクールで「全国百貨店協会会長特別デザイン賞」、「経済産業省局長賞」など数々の賞を獲得。2022年には厚生労働大臣から「現代の名工」に、一般社団法人「日本皮革産業連合会」から「JAPAN LEATHER GOODS MEISTER(鞄部門)」に選ばれる。ものづくりは道具づくりから始める徹底したこだわり派で、今もなお新しいアイデアを次々と生み出す。

土屋國男(つちやくにお)

1938年、岐阜県生まれ。15歳で上京し、学生鞄やランドセルを手掛けるメーカーに就職。1965年に27歳で独立し、後に鞄コンクールで「全国百貨店協会会長特別デザイン賞」、「経済産業省局長賞」など数々の賞を獲得。2022年には厚生労働大臣から「現代の名工」に、一般社団法人「日本皮革産業連合会」から「JAPAN LEATHER GOODS MEISTER(鞄部門)」に選ばれる。ものづくりは道具づくりから始める徹底したこだわり派で、今もなお新しいアイデアを次々と生み出す。

「更新されていくものづくり」
という、挑戦のDNA

「心まで満足させる鞄」を生み出すためには、同時に、時代に合わせた新しさも大切。土屋國男は、常に前よりも良いものを送り出すという挑戦を忘れません。この「更新されていくものづくり」という哲学が最も表れているのが、他に先駆けて送り出した数々の「新しいランドセル」です。かつてのランドセルは赤か黒だけで、ステッチは同色、背中は白というのが“常識”でした。そんな時代に土屋鞄は、ステッチや背中の色違い、茶色やローズ色のランドセルをつくってきたのです。

また、大人向けの鞄をつくるようになったのも挑戦の1つでした。ランドセルが評判になるにつれ「大人の鞄や財布はないのですか」と聞かれるようになり、ヌメ革のトートバッグや「Lファスナー」をつくって展示したところ、好評に。そこから本格的に大人向けの鞄や小物を手掛けることになったのです。そんなDNAを受け継ぐ土屋鞄が、創業50周年を記念して世に送り出した“挑戦作”が「OTONA RANDSEL」。長年培ってきた技術と知見、そして何より、お客さまへの感謝とものづくりへのこだわりを凝縮した、土屋鞄の野心的なシグニチャーモデルです。

技と思いを継ぐ者たちへ

「僕は親方や先輩をはじめ、会社の皆と取引先、そしてお客さまと、人に恵まれてここまでやって来られた。だから、人を育てることで恩返しをしていきたい」。そんな思いから、土屋國男は20年ほど前に若手育成の取り組みを始めました。そこには、「日本の優れた職人技が、永遠に失われてしまうことがあってはいけない」という危機感と、「未来への、ものづくりの継承」という希望があります。後継者の育成を、自社のみならず、鞄業界、さらには日本のものづくり全体の課題と考えているのです。

土屋國男は2022年、卓越した技能を持つ 「革ランドセル製造工」の第一人者として、厚生労働大臣から「現代の名工」に選ばれました。齢80を超えた今もなお、後進の育成に余念がありません。工場の中を見回り、気さくにアドバイスを与えながら、職人たちの姿に目を細めます。自宅内の11坪の作業場でたった一人から始めた土屋鞄製造所は、今や600人以上の職人・スタッフを抱えるまでに成長しました。時代の先を見据えながら「心まで満足させる鞄」を追求し続ける土屋國男。土屋鞄製造所はこれからもずっと、そのDNAを受け継いでいきます。

受け継がれる熱意と、
燃え続ける情熱

それぞれが一方通行で話していても良い鞄はつくれないので、デザイナーとはとことん話し合い、「つくりたいものを手縫いでいいから形にしてみなよ」って、描くだけじゃなく、形にすることもすすめていましたね。やっぱりね、技術の面でも理解し合えると、納得のいく良い鞄ができあがるんですよ。それにこの頃からかな、元々自分のものづくりがしたい人間ではないから、誰かに頼られることが仕事の励みにもなってね。つくりたかった鞄ができ上がって、デザイナーに喜んでもらえると素直にうれしいし、難しい宿題を出されても「あいつのためなら、何とか頑張ってみるか」と試行錯誤を重ねたものです。

土屋國男

1970年生まれ。甲南大学時代はヨット部に所属し、スキーや旅行などのアクティビティと靴や鞄のメンテナンスが趣味。海外の信託商業銀行でのコンサルタントを経て、大手銀行、カードブランドで商品開発などを担当。2016年にテン・グループ・ジャパン株式会社に事業開発代表として参画し、更なる日本のマーケット拡大を目指す。

土屋國男(つちやくにお)

1938年、岐阜県生まれ。15歳で上京し、学生鞄やランドセルを手掛けるメーカーに就職。1965年に27歳で独立し、後に鞄コンクールで「全国百貨店協会会長特別デザイン賞」、「経済産業省局長賞」など数々の賞を獲得。2022年には厚生労働大臣から「現代の名工」に、一般社団法人「日本皮革産業連合会」から「JAPAN LEATHER GOODS MEISTER(鞄部門)」に選ばれる。ものづくりは道具づくりから始める徹底したこだわり派で、今もなお新しいアイデアを次々と生み出す。


併せて読みたいコンテンツ



MAIL MAGAZINE

土屋鞄のものづくりへの思いをお伝えするコンテンツや、製品に関する情報をお届けしております。

※プライバシーポリシーをよくお読みいただき、同意の上ご登録ください。

MAIL MAGAZINE

読み物としてお楽しみいただけるコンテンツや、最新の製品情報などをお届けしています。
※プライバシーポリシーをよくお読みいただき、同意の上ご登録ください。