アンティークショップ「ATLAS」店主・飯村弦太さん
2010年に「ATLAS」を開業。東京・湯島の店舗には、欧州の食器を中心に、18~20世紀の品物が並ぶ。
土屋鞄製造所アーティスティックデイレクター・大野真彰
土屋鞄製品の企画立案を行う。手がけた主なシリーズに、「ブラックヌメ」「ホームコレクション」など。
「愛着」が傍にあることで、
自分に、そして人に優しくなれる。
時間を超えて愛されるものを――。そんな願いを込めて生み出される、土屋鞄の革アイテム。製品の企画立案に携わる大野は、土屋鞄の中でも「愛着」との関わりが特に深い一人です。そんな大野に、「クリスマスブックのテーマである『愛着』を、誰と語り合いたいか」と尋ねると、飯村さんの名前を即答。「愛着の代名詞とも言えるアンティークを扱う方だからか」とその時は納得がいったのですが、二人のお話を聞いていると、それだけが理由でなかったことがよくわかりました。
――二人の出会いは?
飯村 最初は、お店で開いたチーズケーキ販売のポップアップにいらしていただいたんですよね。
大野 そうそう、妻に誘われたのがきっかけで。置いてあるものも素敵だし、お店に良い“気”のようなものが流れているから、居心地が良くて。飯村さんとは価値観が近く、ついつい話し込んでしまうんです。
――二人にとって、「愛着」の湧くものとは、どのようなものでしょうか。
飯村 僕は、「愛用品」と「愛着の湧くもの」は、違うと思っています。
愛用品は「使いやすいから」「手頃だから」といったような理由で、自分の生活にフィットしているもの。壊れたら、同じものを買えばいい。でも「愛着品」は違う。英語で「attachment(愛着/付着)」と言うように、ものに心や思い出が付着した状態が、「愛着品」なのかなって。だから消費のサイクルからは外れていて、壊れた時は、直して使いたいと思う。
大野 確かに。機能性や価格などの理由で使っている「愛用品」と、思いを宿した「愛着品」。その差は大きくて、その違いは「愛」なんだろうなと思う。でも全く別物というわけではなくて、最初は「愛用品」で、それが「愛着品」に育っていくという感じですよね。
――生活の中に「愛着」が宿ったものが存在すると、どんな作用があると思いますか。
大野 僕は、「自分を大切にすること」につながるんじゃないかなと思う。愛を感じる「もの」をまとうと、優しい気持ちになれる。すると、隣にいる人にも自然と優しくなれて。愛が広がっていくし、そんな自分も好きになれる。
飯村 僕の中にも、そのイメージがあって。湖面に落ちた滴みたいに、優しさが自分の内側から外側へ、波紋のように広がっていく。
大野 「愛着」は、「執着」ともまた違いますよね。執着は、「高価だから」とか、「誰かの評価が高いから」とか、純粋な愛とは違うものも付いてしまっているから。
飯村 そうそう、たぶん「執着」は、自分の内側に留まったままで、外に広がっていかない。鍵を締めているような、他人に対して扉が開いていない状態。
純粋な気持ちが付着した「愛着品」は、お守りのような存在でもあるのかなと思っていて。僕にとっては、子どものころに祖母が編んでくれたマフラーもその一つ。普段、使わなくてもいい。たまに出して見たり、触ったり。自分の心が落ち着くものであれば。
大野 「愛着品」って、使うものだと思っていたけれど、飯村さんのその感覚はしっくりくる。
最近、ふと気づいたことがあって。飯村さんのお店で買ったお皿とか、妻とおそろいで選んだニットとか、ものの向こう側にいる、関わってきた人が見えるものが身の回りに増えてきて。そしてそういうものは、「愛用品」から「愛着品」に育つ確率が高い。
お皿は、妻に誕生日にリクエストして買ってもらったものだし、あと、お店からの帰り際、飯村さんが「素敵な休日をお過ごしください」と一言添えてくれたこととか。
思いや時間がお皿に載ってきて、少しずつ、「愛着品」に変わってきた。そういうものに囲まれた生活を送れることが、幸せだし、安心する。だから、「愛着品」って、人生の中で、心や時間を豊かにしてくれる存在なんだろうと思う。
飯村さんの「愛着品」って、幾つくらいある?
飯村 祖母のマフラーのほかに、今回、誌面で取り上げていただいた、シルバープレートのカトラリーとか、5つくらい。僕にとって、「愛着品」と呼べるものはそんなに多くなくて。
愛着を寄せるものが多すぎると、僕の場合、心がエンプティー状態になってしまうから。多ければいい、少なければいいとか正解はなくて、自分にとって心地良い数であればいいんだと思います。