眼差しの先にあるもの - 08.大井昌之-

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CRAFTSPEOPLE

眼差しの先にあるもの

80代のベテランから20代の若手まで、個性豊かな土屋鞄の職人。
それぞれ、どんな想いで鞄と向き合っているのでしょう。

高校を卒業してから、鞄づくり一筋のベテラン職人・大井。その40年にわたる技術に加え、どこかやんちゃな少年のように明るく気さくな性格もあって、軽井澤工房の多くの仲間に慕われています。60歳を前に、縁あって土屋鞄に入社。いまの自分の役目は、若い職人たちがたくさん経験を積めるように、それを後押しすることだと言います。これまでの歩みとともに、その思いを聞きました。

高校を卒業してから、鞄づくり一筋のベテラン職人・大井。その40年にわたる技術に加え、どこかやんちゃな少年のように明るく気さくな性格もあって、軽井澤工房の多くの仲間に慕われています。60歳を前に縁あって土屋鞄に入社し、今の自分の役目は、若い職人たちがたくさん経験を積めるように、それを後押しすることだと言います。これまでの歩みとともに、その思いを聞きました。


腕を磨き合う濃密な日々が、
職人としての土台をつくってくれた。

鞄づくりの道に入ったのは、高校を卒業してすぐですね。進学は考えていなかったので就職先を探していて、知人に紹介してもらったのが革鞄をつくる会社だったんです。"職人"って聞くと、子どもの頃から絵がうまかったとか、ものづくりを仕事にしたかったとか、そんなイメージがあるでしょ。ただ僕の場合、そういう動機は全然なくてね。ものづくりに興味があったというより、たまたま最初の会社とご縁をいただいたのが、始まりなんです。

当時は何がやりたいとか、何が向いているとか、まだよく分からなくて。でも夢がある人以外、若い時ってそんなもんじゃないかな。昔から好奇心だけは強かったから、新しいことを前にすると、とりあえず何でもやってみたくなってね。それが結果的には、職人としての資質とうまく合ったのかもしれません。

最初の会社は完全に分業制で、初めに配属されたのは「縫製」の部署でした。6年間在籍して、来る日も来る日もミシン掛けの日々。正直、最初は同じ作業の繰り返しに音を上げそうになることもありましたよ。ただ僕の時代は同期が10人ぐらいいてね。彼らと切磋琢磨(せっさたくま)し合いながら技術を身に付けて、できることが増えてくると、どんどん仕事が面白くなっていったんです。

自分の周りにはいつも、“無言の競争心”が満ちていましたよ(笑) 要は、誰が一番早く正確に縫えるようになるか、どれだけの数をこなせるか。口には出さないけど若い同士で競争し合う。だから、いつも他の人の仕事が気になってね。先輩の仕事を盗み見ては「あー、こうすればいいのか」と学んだり。逆に同期の仕事を横目で見ては「おー、僕の方が進んでいるじゃん」って安心したり(笑) 負けず嫌いの性格もあって、とにかく「僕の方が良い仕事してやるぞ」って、毎日必死でした。

でも、このときのおかげで、ミシンの技術は今でも他の人に負けない自信がありますよ。もう体にしみついていますからね。いま振り返ると、仲間に恵まれていたなあと、ありがたく思います。


誰かから頼りにされること。
それが仕事の原動力。

そのあとは50歳を過ぎるまで、ほとんど「設計」の仕事一本でした。設計というのは、鞄の型紙を起こしたり、鞄づくりの手順を設計書にまとめたりする仕事。特に型紙づくりはデザイナーとの二人三脚で、相手の思いをくみ取りながら、求められる鞄のラインを忠実に再現することが大事になるんです。例えば、鞄の角の部分は柔らかく見せたいのか、すっきりと仕上げたいのか。それによって、線の起こし方は全然違ってきますからね。うまくいかないときは模型をつくって、立体的な角度からも確かめてみたりして。

あとは、それぞれが一方通行で話していても良い鞄はつくれないので、デザイナーとはとことん話し合い、「つくりたいものを手縫いでいいから形にしてみなよ」って、描くだけじゃなく、形にすることもすすめていましたね。やっぱりね、技術の面でも理解し合えると、納得のいく良い鞄ができあがるんですよ。それにこの頃からかな、元々自分のものづくりがしたい人間ではないから、誰かに頼られることが仕事の励みにもなってね。つくりたかった鞄ができ上がって、デザイナーに喜んでもらえると素直にうれしいし、難しい宿題を出されても「あいつのためなら、何とか頑張ってみるか」と試行錯誤を重ねたものです。

設計時代は、勉強と視察を兼ねて、鞄を卸していた東京のデパートにもよく行きましたよ。自分たちの手掛けた鞄が立派な棚に並んでいて、それを買ってくれる人がいる。その光景は何度見ても、良いものでした。

当時の社長がよく言っていたんですよ。「僕たちの仕事は、会社が給料を払っているんじゃない。お客さんから給料をいただいているんだ」って。この頃にようやく、この言葉がすとんと自分の中で腑に落ちた。自分たちがいくら良いと思っても、お客さんが買ってくれなければ良い鞄ではない。鞄の価値を決めるのは、お客さんなんだって。当たり前のことなんですけどね。だから使う人が長く大切に使ってくれるように、もっともっと良いものをつくろう。そういう気持ちを強くしてくれる経験になりました。


貪欲に、がむしゃらに、
手を動かし続けてほしい。

そんなふうに前の会社で30年以上キャリアを積ませてもらった後、土屋鞄と新たなご縁をいただいてね。5年ほど前にここへ来て、いまは大人向けの鞄をつくるチームで、「プリソワ」シリーズの鞄を手掛けています。場所は変わっても、一つひとつ丁寧に鞄をつくる。その姿勢は何ら変わりませんよ。

チームで鞄づくりをするなかで一番大切にしているのは、「次の工程まで、きちんと頭の中でイメージすること」ですかね。先のことまで意識しながら目の前の仕事をやっていくと、バトンを渡す次の人も仕事がやりやすくなるし、そうやって流れるようにつながっていくと、自然と鞄の完成度も高まるんです。

土屋鞄に来てからも型紙や設計書づくりを担当していますが、設計書というのは鞄づくりのマニュアルであると同時に、完成形をみんなで共有するためのイメージ図でもあります。仕事の精度をぐんと上げて、出来栄えも良くするには、それぞれの頭の中に同じ一つの鞄が描けているかどうか。それが大きな鍵になりますからね。

チームのメンバーは6人いて、僕が最年長。息子と同世代の若い職人たちとも仕事をしています。だからいまは、周りの若い職人たちがたくさん経験を積めるように、それを後押しすることも僕の役目かなと思っています。この歳まで仕事をさせてもらってきた、ほんの恩返しだと思って。

とは言ってもね、僕は手取り足取り教えるのは得意じゃないし、そうしたいとも思っていない。まずは、自分の手を動かして考えてほしいからね。自分でやって失敗しなくちゃ、うまくはならないですから。それと職人の仕事って、いかに早くきれいにつくれるかが求められるでしょ。そのためには、器用さとか丁寧さも大事だけど、やっぱり飽きずに数をこなしていくしかないんですよ。

だから「まずは自分でやってみろ。自分の手を動かせ」とハッパを掛けて見守り、分からない時やつまずいた時には、ちゃんとフォローする。それが僕の仕事ですね。

若い時に「よそ見」の技が鍛えられたせいか、いまは自分の仕事をやりつつ、若い職人たちの仕事も気になっちゃってね。「あいつ、困ってそうだな」とか「何やってるんだ?」って気が付くと、ついつい声を掛けちゃうんです。自分が構ってほしい人間だからかな、ちょっかいを出すのは好きでね(笑) いずれにしても、せっかくこの道に入ったなら、自分が理想とする鞄をきちんと形にできるまで、まずは貪欲に、がむしゃらに、手を動かし続けてほしいですね。

僕自身は今年61歳で、あと何年仕事ができるかは分かりません。でも、必要としてもらえる限りは、鞄づくりを続けていたいですね。昔から僕のモットーは「いま!だからできることをやる」。まだまだ若い職人たちには負けませんよ。