Plain Note 山下貴嗣さん Page2 / 3

Plain Note ―想いの自由帳―

「Minimal-Bean to Bar Chocolate-」代表
山下貴嗣さん | Page2 / 3
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「日本ならではのものづくり」で、世界に新しい価値を提案してみたい……そんな思いが募って前職(コンサルタント)を辞した山下さん。つくりたいものを探して日本から世界へと視界を広げていく中、偶然の出会いから、引き算という和食の発想で“Bean to Bar Chocolate”を追求しようと考えるに至りました。

そんな山下さんがこだわり続ける「日本」と「ものづくり」への強い思いは、いつごろ、どのようにして育まれたのでしょうか。今回は、山下さんのライフストーリーからその源流をたどってみたいと思います。

「日本のものづくり」が
あふれていた家

――山下さんが「ものづくり」に強い思いを抱くようになったのは、何かきっかけのようなものがあったのでしょうか。

私の中の「ものづくり」に対してのリスペクトや憧れは、たぶん、育った環境が大きかったと思います。何より影響を受けたと思うのは、父ですね。父は建築士をやっていて、直接自分の手でつくるわけではないのですが、小さい時から自分の周りにはものづくりの空気があふれていました。

――お父さまはどのような方でしたか。

父はとてもこだわりの強い人で、いつも仕事で充実しているように見えました。もちろん、夜遅くまで仕事部屋にこもっていたり、本当はいろいろな苦労や辛いこともあったんでしょうけど、仕事をしている父の姿は生き生きしていて。こういう人生が良いなと、幼いながらなんとなく思っていました。

父のことで、今でもとても印象に残っていることがあります。中学生の時に、父が古い平屋一戸建ての古民家を買い、自分で図面を引いて好きなように改修して、そこに家族で移り住んだんです。しばらくして、父がある部屋で、おいしそうにお酒を飲んでいるのを見つけました。つまみもないのに……と思っていたら、その部屋にある大きな梁を見て、それをつまみに飲んでいたんですよ。それがまた、なんとも言えず楽しそうというか、満足そうな顔をしていましてね。普段、口数の少ない父があんなに楽しそうに……。

――そういう姿をずっとご覧になっていて、ものづくりへの関心を自然に持たれたのですか。

ええ、小さい頃から、そのような父を見ていたからですかね。ものを生み出すことって、そんなに楽しいのかな、と。父の仕事は新しいものを設計・建築したり、古くて良いものを自分の手で新しく生まれ変わらせたり、新しい価値を加えたりして、しかもそれが形として空間に残っている。うわ、カッコいいな!って、思っていましたから。今思うと、そこで育った自分ってすごく幸せだな、って思います。そのおかげで、ものづくりの仕事や職人に自然と興味を持つようになり、憧れとリスペクトを持つようになったのかもしれませんね。

――素敵なお父さまですね。お母さまは、どのような方だったのですか。

母からも、意識しないうちに影響を受けていたんじゃないかと思うところがあります。母は農家の出身で、管理栄養士をしていました。おかげで食卓には、野菜や魚など旬の食材をたくさん盛り込んだ手料理が、いつも並んでいたんです。それも、日本食が中心だったせいか、素材の持ち味が良く引き出されたものが多くて。おいしかったなあ。

おかげで今でも日本食が大好きなんですが、何気ない日常生活の中で、母の手料理を通して、そうした日本のものづくりのエッセンスみたいなものを自然に体感していたのかな、とも思いますね。普段の意識しないレベルで、自分の血や肉として育まれてきた嗅覚というか感覚みたいなものがあったからこそ、朝日(現エンジニアリングディレクター・朝日将人さん)の“Bean to Bar Chocolate”を食べて、そこにある日本的な美意識に気付けたのかもしれません。

僕を目覚めさせてくれた
一冊の本

小さい頃から、ご両親の影響で「ものづくり」や「日本らしさ」に対しての感受性を培ってきたという山下さん。でもそれはまだ、若い頃ははっきりと意識されるには至らなかったそうです。そんな山下さんが、「日本ならではのものづくり」をはっきり意識するようになったきっかけは、ある1冊の本との出会いだったとか。

日本のものづくりの中に秘められている感性や考えを、美意識としてはっきり意識するようになったのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』(中公文庫)と出会ったのがきっかけでした。家にあったこの本が、漠然と抱いていた思いを明確に意識させてくれたんです。初めて手にしたのは、高校時代。その時は、なんとなく興味を持ってさっと読んだだけで、それほど大きな感銘を受けたという感じではなかったです。当時の自分にはまだ、少し難しかったのかもしれません。

――ということは、再び読み直したときに気付きがあったのですね。

それが、どういう気分の変化があったのか忘れてしまいましたが、大学生の時にもう一度読みたくなって、再び手に取ってみたんです。そうしたら、今度はとても面白くて。日常の中に美意識を持つことで、全然変わるものがあるんだなと。小さい時に不思議に思っていた、暮らしや生活様式の奥にある日本ならではの独特の美意識に触れることができて、読むほどに発見がありましたね。そうしたものの見方や考え方の存在を改めて認識し、魅力を感じていることをはっきり自覚したのは、その時でした。

――山下さんが追求しようとしている「日本ならではのものづくり」のベースにあるお考えは、ご両親と座右の書の影響が大きいのですね。“Minimal”というブランド名は、そのお考えと関係があるのですか。

はい。「日本ならではのシンプルな引き算の発想で、素材の魅力を最大限に引き出したチョコレートをつくる」というフィロソフィーを一言で表現できるブランド名として、付けています。実は、この名前が思い浮かぶまでは結構、試行錯誤があったりしたんですが、今思うと「なんでこれをすぐに思いつかなかったんだろう」と思うほどぴったりなんですよね(笑)。

新しい食のカルチャーを提案していくブランドとして、私たちが最優先に考えるのは「それは、Minimalらしいものづくりだろうか?」ということです。“Minimal”というブランド名には、私たちの考えと想いが詰まっています。この名前を見ればいつでも原点を思い出せるので、迷ったりブレることはないと信じています。

この国に、
僕ができることは何だろう

ご両親からの影響と『陰翳礼賛』から受けた感銘が、「日本ならではのものづくり」への関心とリスペクトのベースになっている、という山下さん。実はそこに、社会人になってからさらにもう一つの思いが加わったのだとか。それは一体、どのような思いだったのでしょうか。

ものづくりの中で「日本」にこだわったのには、もう一つ、別の思いもありました。私はいわゆる「デフレ世代」のすぐ次の世代なんですが、社会人になった時にはずっと続いている不況の真最中。少子高齢化が問題になって久しく、数年後にはリーマンショックが訪れました。誰もが、日本の将来に不安を感じていた頃ですね。

そんな状況の下で、社会人として、自分はこの国に何ができるのだろう?と考えることがよくあったんです。今は不況だというけれど、焼け野原から日本を経済大国にまで盛り上げ、その中で自分たちを育んでくれた祖父や父の世代の方たちの苦労と比べたら、どれだけのものだろうかと。ただ嘆くのではなく、そうした先輩方が築き上げてきたものに対して、少しでも感謝と恩返しがしたい。そう思っていたんです。

――うつむくのではなく、前向きな受け止め方をされていたのですね。

そういう性分じゃないので(笑)。ただ、社会人になったばかりの頃は、多忙なこともあって、具体的にどうしたいかまで考えていませんでした。それでも、日本の良さをもっと世界の人たちに知ってもらうには、どうすれば良いだろう。そのために、自分ができることは何だろう。年を追うごとにそんな思いが高まってきました。そのうちに、前職(コンサルタント)の仕事に精通してくると、どのようにすると価値を伝えやすいか、他との違いを出すにはどのようにすべきなのかが分かってきて。だんだんと、自分の考えが具体的な形になってきたんですね。

――コンサルタントのお仕事で実績を上げていくことで、やりたいことの道筋が見えてきた、という感じでしょうか。

今から思うと、そうだったのかもしれません。社会経験を重ねてくると、日本のものづくりは、そのクオリティの高さのわりに世界ではあまり知られていなかったり、評価が高くなかったりしていることなんかも見えてきて。それがまた、口惜しかったりしたんです。だから、日本のものづくりで、世界に新しい価値を提案したい。世界で勝負するためには、日本独自の美意識・考え方を伝えられるものでなくてはいけない。そう思うようになってきたんです。

――それが、「引き算の発想」のものづくりにつながっていくのですね。

そうですね。欧米にはない、本当に日本の独自性を感じさせる考え方として、自分の頭の中に真っ先に浮かんできたのが、日本食のように「引き算のアプローチ」で素材の本質的な魅力を引き出すものづくりだったわけです。それはきっと、これまでお話してきたような環境で成長してきたからこそ、すんなりと発想できたのだと思います。

そうしたものづくりの価値が認められることで、日本の良さが世界の人たちに少しでも伝わっていけば、日本のものが売れるし、インバウンドの増加も期待できるかもしれない。そうなってくれれば、仕事を通じて、自分を生んでくれた日本にわずかでも恩返しができるかなと。そして何より、私が子どもの頃から尊敬してやまない、日本のものづくりに携わっている方たちにそうした利益が還元され、日本のものづくりが元気になってくれたら

「Minimal-Bean to Bar Chocolate-」を立ち上げ、継続させていくことで、そうした思いをかなえたい。そんな夢の一歩を、今は踏み出せたと思っています。


ご両親からの影響、座右の書との出会い、そして日本への思い……山下さんを、「日本ならではのものづくり」で新しい価値を提案するビジネスへといざなったのは、こうしたライフストーリーから自然と生まれてきた思いだったのですね。次回の最終ページでは、そんな山下さんが今見据えているもの、この先のさらなる夢をお聞きします。そして、土屋鞄とのこれからは……?